黒猫の轢死体。

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20220921

一芸に秀でるものは多芸に通ずるって半分本当でもう半分は嘘でしょう、

 

まず真実だなと思ったところは上達のコツを身につけられるという意味で他の芸事に関しても上達速度は多少速くなると思う。

速くなるというよりは停滞期を短くすることができると思う。停滞期を抜けるにはスランプだと思っても続ける/師匠に助けを乞う/他のことをやってみるなどの方法があると思うけれどこれは大体の物事に共通する打破方法であろうから、それらを一度身につけておくと他のことを進めるときにも選択肢として表示されるようになるのだろう。

あと本気で一つのことに集中するために他のことをする時間を削ろうとしたら時間の効率の良い使い方無駄のない使い方を学ぶという意味では意味のある言葉だと感じる。

 

では逆に嘘だと思うのはどのへんかという話だが、まず上達するために必要なスキルがそれぞれの物事で同じなわけがない。同じならば何でもできる超人と何にもできない凡人の2種類にこの世のヒトが二分されてしまう、スペシャリストが滅ぶ。スペシャリストが生き残っているということは多かれ少なかれ専門性のある生き物ばかりが存在している証拠だ。

一つのことに集中しているときは他のことを見なくてすむので劣等感に苛まれることもない。たとえば私が歌うことも踊ることも絵を描くこともすべて捨てて学術の研究に注いだらとてもじゃないが芸術ごとに意識を持っていくことができなくて何もできないという感情が表面に出てくることはないだろう。それで学術に秀でたところで私は幸せになれるのだろうか。

趣味を捨てて仕事に打ち込む、その覚悟を決める人の話をいくつか聞いたことがあるけれどとても耐えられたものではない。もしもそうせざるを得ない環境になってしまったら私はどうなってしまうのだろうか。自我を保てるのか、仕事の方を続けられるのか、お金を人質に取られたらさすがに動くのか、夢を見すぎなのか。怖いよ。

 

自分の文章に自信が無い、昔から。でもときどき褒められる。褒めてくれる人が心から面白いと思ってくれているのか、感性だけが先行していて自分と異なる色彩に目を焼かれているだけなのかわからない、どうなの??

 

誰にも見られない場所で文章を好き勝手に書くのは楽しいよ、誰も見ないから。