黒猫の轢死体。

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20200713

感情の共有の解像度が年々上がってきている傾向がある気がするよみたいな話です。

 

yamamotosho.com

 

なんでnoteの垢も持っているのにこちらにわざわざ貼って書こうとしているのですがね、通知が行ってほしくないみたいな感情があるのですかね。

 

 

このnote主さんが実際に考えていたことは僕にはわからないけれど、僕が感じ取ったものはこんな感じです。

 

  • 歌詞に意味があるかないかは重要な問題ではない、もちろん作詞家さんは意味を込めているだろうけれど
  • 作詞かが考えた意味をそのままそっくり同じように捉える必要は無い
  • でも捉えたいと思っている人が動画のコメント欄中心に存在している
  • 作詞家さんが歌詞に込めた意味はあくまで回答例のひとつで意味を付加させたいならそれはひとそれぞれ

 

たぶんこんな感じの話、僕は自分の受信感度の悪さに自信があるので自分で読んでいただくのが確実かと思われます。

 

で、最初に書いた『感情の共有の解像度』についてなのですが、

たまたまこの文章を書いた方は知らないだけで、発信者側も正確な解答を求めようとする人が増えつつある傾向にあるのではないかと個人的には感じていまして。

(一概に括るのは良くないと思っているけれど)ラノベを中心に解釈の余地を与えず一から十まで詳細を説明してくれる文字の作品、一生裏事情を垂れ流してくる歌ってみたや各種動画、いつかどこかで話題になった欲しい感想と望んでいない感想を好き嫌いしてくる作家さん、これ全部発信者側も問題ですよね? と思ったりしまして。

最初から最後まで教えてくれる人に慣れてしまったら自分で自分の答えを探す欲も無くなってしまう気がして。大きな声で回答を出されるとそれに靡いてしまうのは一つの事実で。

 

細かく描いたそのひとつひとつをワンチャン見つけてもらえたら良いなくらいのつもりで書いていた人よりも全部見て! 細部まで見て! 私に共感して!! みたいな考えの人が増えてしまったのかな……みたいな。

別にそれら全部が悪だとは思わないけれど、苦しくないのかなと思うことは多々ありますよね。全く経験したことないものをいちから想像して組み立て上げるって結構労力使いそうなのに、平気なのかな、みたいな。

それが当たり前な世界になったら少し狭苦しくて生きにくくなったりしないのかな、みたいな。解釈の余地、欲しくないですか?? わからんここで欲しくないですかと問いかけている僕も世界を狭めようとしている嫌な奴かもしれません。入れ子構造になってしまうのでこれ以上は考えません。

 

おうたの歌詞(おうたに限らないけれど)って自分の経験やら考え方に重ねて共感するのが楽しいのではないの? それが推しカプイメソンとかに発展していくものなのではないの? 解答を一つに絞られてしまっては同じ曲で異なる人を想像できなくなって苦しくないの?? と僕は思ってしまうわけですが実際どうなのでしょうね。どういう考え方の人間が多いのかは僕は知らないので。

漫画を読んでも小説を読んでも作家が望んだ100点の回答を読者は出せないし、国語のテストを作る人たちも出せないし、もしかしたら未来の作家さん本人も出せないしきっと創作ってそういうものです。一意に定まらない解答ってそういうことです。

 

 

 

 

 

 

一つの答えを出しつつ『あくまでも回答例の一つ』と主張し続けて多種多様なエンディングを寛容に認めた悪ノPを敬愛しながら僕は生きていきます。

 


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この詩に意味はないよ

 

 

 

 

 

 

 

(51分、パソコン、次のと合わせてだいたい2246字)