黒猫の轢死体。

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20200430

養老孟司さんの『バカの壁』を読み終えたので、関連性薄いけれど感想文のようなものです。

 

 

壁を自分で作ることをしていなくても壁の外側に向かって歩こうとしなければ、その場に留まっていたらやっていることはほとんど同じで意味がない、前に進まない。

自分は他者と比べて人の話を聞くことが好きだけれどいったい自分が何を考えて人の話を聴いているのか不思議に思ってしまった。他者と自分の違いを考えながら聴いているのか、その違いを否定しようとしているのか、新しい何かを見出そうとしているのか。

 

最低限の知識を身に付けておかないとある程度以上のすごいものの違いに気付くことができない。ある程度絵を描き続けているから上手い絵と見た目の割に大した手の込んでいない絵の違いがわかる。高校で嫌というほど聴いたから吹奏楽の違いもわかる、あとホールの響きの違いも、多分。ダンスの違いはあまりわからない。バレエなら少しはわかる。目利きになりたいわけでもないけれど自分の好きなものを自信もって好きというためにも知識が欲しい。壁を超えないといけないのかもしれない。

 

扁桃体前頭葉扁桃体が活発なのも前頭葉機能がやや低下しているのもどちらも当てはまっている気がした。バーナム効果かもしれないけれど。食欲にブレーキが効かないこともあるしやり始めたら止まらないものもある。脳のコントロールが下手だなぁ……。

 

最近生活リズムが不規則で寝付けないことが多いけれど、まず1日が24時間だと思っているのが間違い。仮に睡眠を7.5時間取るとして1日は残り16.5時間しか存在しない。24時間分のやりたいことを詰めてしまうから消化不良を起こして眠れなくなるから最初から16.5時間分の活動を考えなくてはならない。時間が増えないから。時間が増えないのは当たり前のことだけれど、どうもその意識が薄い。

 

久々に文章を書いているけれどこれくらいざっくばらんなところから始めてしまっても良いのかもしれない。これ以上頭良さそうな分にすることが無理、ともいうけれど。

 

みんな私の話や文章はどれくらい読んでいるのだろう、発信側としてはとりとめのない雑音を全世界に出しているつもりなのであまり真面目に読んでほしくは無いのだけれど、この考え方が既に危険かもしれない。読んでほしい文はきちんと読まれるように書いていてそれ以外は適当にしているつもりだけれどもしかして肩に力が入りすぎて却って読みづらくなっていたりするのかもしれない。

 

本を読んでも内容は殆ど頭に入っていなくて後から検索をかけられるように最低限の情報しか残せていないような気がするけれどそれは正解なのだろうか。最初から最後まで全部覚えるのは難しいかもしれないけれどもう少し覚えていても良いのかもしれない。あまり胡散臭い記憶の残し方は喋るときも自信と確証を持つことができなくて少し苦しい。

 

共通了解と強制了解、どこまでが自分で納得したものでどこからが人に頷かされてきたのだろうか。今思い浮かべた社会的なものはだいたい共通了解ばかり、少なくともルール制定という作業はけが人を目の当たりにしながら禁止ルールを追加、とかでない限り共通了解なのですかね??怪我人が出たから禁止行為にするという動きそのものが共通了解という考え方もありますね。

 

あぁ難しいな。

 

1355字、PC、25分